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大阪高等裁判所 昭和43年(ラ)390号 決定 1969年12月24日

第三九〇号事件抗告人 中村則子(仮名)

第三九五号事件抗告人 横山かよ(仮名)

相手方 吉田ゆみ(仮名) 外六名

主文

一  原審判を次のとおり変更する。

二  被相続人亡吉田豊の相続財産中より

抗告人中村則子に対し金六〇〇万円

抗告人横山かよに対し金一、〇〇〇万円

相手方吉田ゆみに対し金三〇〇万円

相手方鈴木正義に対し金三〇〇万円

相手方大田美和子に対し金三〇〇万円

相手方藤田一美に対し金三〇〇万円

相手方新井二郎に対し金三〇〇万円

相手方管原真理子に対し金三〇〇万円

相手方遠藤実子に対し金一、〇〇〇万円

をそれぞれ分与する。

理由

第一抗告の趣旨及び理由並びに相手方らの主張

一  抗告人中村則子代理人は、「原審判を取消し、本件を大阪家庭裁判所に差戻す。」との裁判を求め、その理由の要旨とするところは、

1  抗告人中村は被相続人亡吉田豊の特別縁故者として最も濃い関係にある。すなわち、同抗告人は被相続人の父吉田正の非嫡出子であり、被相続人の異母妹であり、その事実上の血縁関係からすれば実妹として唯一の相続人となり遺産の全額を相続すべき地位にありながら、認知がないために相続人たり得ないという不幸な関係にある。特別縁故者に対する分与の規定に生計の同一とか療養看護等の事情を例示的に掲げているが、これは通常の場合自然的血縁者のいないことを予想した結果にすぎず、被相続人の生前に面識交渉があつたかどうかということは縁故関係の濃淡を判定するにあたつて二義的なもので自然的血縁関係をこえる要素とはなり得ない。同抗告人を最も縁故の薄い者とし、面識交渉がなかつたことを重視した原審判は民法九五八条の三の規定の文字の列記を技術的に解しその法意を理解しないもので、著しく条理に反し不当である。

2  同抗告人が昭和一〇年頃被相続人の父正から金一万円相当の有価証券の贈与を受けたことは本件とは何らの関係もない。すなわち、本件は被相続人の相続財産の分与を求めるもので、右正の財産が対象となるものではない。同抗告人の母中村ゆりは芸妓として主人である右正の社会的地位に対する配慮からその間の子である同抗告人を他の籍に入れて育てていたうえ病弱で芸妓をやめて療養していたのであるから、その旦那として右正が相当額の手当をするのは当然であり、右贈与は当時の花柳界の風習から言つて極めて普通のことであり、格別特段の贈与とか手切金と解すべきものではない。しかも右贈与を受けた有価証券は同抗告人母子の生活費及び抗告人の養育費として費消されており、これを三〇余年後の現在まで財産として維持できる筈もない。右贈与が現在の貨幣価値に引直されてそのまま現存するかのごとき錯覚に陥り、本件分与と密接不可分なものとして、その額を著しく低くした原審判は独断であり不当である。

3  原審判は、相続財産の処分に当り相続財産管理人の意見を聴いたという形跡がないから、この点において無効である。裁判所はあらためて相続財産管理人の意見を具体的に聴取し、これを重要な参考資料として分与額を審査考慮すべきである。

4  被相続人と生前交渉のなかつた同抗告人以外の他の縁故者が被相続人の死後に形式的供養を行なつたことを特に重視し、また大阪在住の抗告人横山かよ、相手方遠藤実子を著しく厚遇し抗告人中村を最低に評価した原審判は、不公平きわまるものである。被相続人は生前自分の異母妹がいることを聞知し、しきりに気にして捜していたという事実があり、相続財産管理人楠本孝一は就任後これを知つて友人生駒一郎に依頼し同抗告人を捜し当てたのであつて、被相続人の生前の意思は尊重さるべきである。また同抗告人は右楠本管理人から被相続人の一周忌の案内を受けたが、右一周忌は同抗告人以外の縁故者のうちに進んでこれを営むものがなかつたため同管理人において主催したものであり、原審判がこれらの者の墓地管理の関係等だけを過大に評価するのは公平でない。

というにあり、

二  抗告人横山がよ代理人は、「原審判を取消し相当の審判を求める。」と申立て、その理由の要旨とするところは、

1  抗告人横山かよは民法九五八条の三所定の被相続人と生計を同じくしていた者であり、かつ、被相続人の療養看護に努めた者であり、同抗告人のみが特別縁故者として本件分与請求の資格を有するものである。原審判は右法条の法意を正解せず、徒らに八方美人的に気をつかいすぎた結果、特別縁故者の範囲を著しく拡張し、同抗告人以外の他の縁故者に対する財産分与額をいずれも甚だしく増大させて同抗告人に対するそれを少額なものにした違法がある。同抗告人は昭和一五年頃から被相続人と内縁関係にあり、昭和二〇年七月末頃被相続人が北海道へ赴く途中高岡市で急病となつた際はもとより、病を押して札幌に着き同所の病院に入院して加療を続けていた間及び終戦後帰阪して病気が全快するまでの間献身的に療養看護に努めたばかりでなく、戦時及び終戦前後の食糧衣料その他諸物資不足の混乱時に苦労を共にし、被相続人死亡の時まで身の廻りの世話一切をして奉仕してきたもので吉田家の人々から深い信頼を受けていたものである。

同抗告人は昭和四〇年六月二二日前記楠本管理人から金五〇万円の交付を受けたことがあるが、これは大正年間に同抗告人が前記正に預けていた金一、〇〇〇円を被相続人が昭和三九年当時時価に換算して金五〇万円として一旦はこれを同抗告人に交付したものの、その後同抗告人が利殖のため被相続人に預けていたいきさつがあり、このことを右楠本管理人に訴えて返還を受け生活の資にあてたものである。

2  特別縁故者に対する遺産分与の制度は家庭裁判所が国家的見地から恩恵的に相続財産の全部又は一部を特別縁故者に取得させるに過ぎない制度であつて、特別縁故者の認定、縁故の深さは民法九五八条の三の規定の例示にみられるごとく抽象的な親族関係の遠近ではなくて、具体的実質的な縁故の濃淡により決せられるべきものである。したがつて抗告人中村が仮に被相続人の異母妹であつたとしてもそれだけの理由では縁故の濃淡の判定について優先的地位を認めるべき格別の要素となるものではない。

というにあり、

三  相手方吉田ゆみほか五名代理人は、抗告棄却の裁判を求め、その主張の要旨とするところは、

1  抗告人横山かよに対する遺産の分与はむしろ多きに失するとも思料されるが、原審判はきわめて公平妥当であつて本件各抗告はいずれも理由がない。

2  相手方鈴木早苗は昭和四四年一月二七日死亡し、相手方鈴木正義においてその一切の権利義務を承継した。右早苗及び相手方大田美和子は戸籍上吉田正の実妹になつているが実際はその異母妹であり、相手方吉田ゆみの夫吉田武雄は戸籍上も実際も右正の実弟である。

というにあり、

四  相手方遠藤実子代理人は、抗告棄却の裁判を求め、その主張の要旨とするところは、

1  本件分与額算定に当つては、被相続人が同相手方に対し現実に贈与した品物の性質、贈与する意思で具体化しなかつたものについても考慮さるべきである。すなわち、被相続人はその母ゆきが使用していた家具類、装飾品等一切を同相手方に贈つており、その中には母親にとつてかけがえのない記念の品も混つている。人間嫌いの被相続人も母親だけは愛しており、母親が愛用し身につけていたものを贈る相手は母親に代る人でなければならない。これは市場価格でははかり知れない貴重な贈物である。さらにまた被相続人が同相手方に家の建増をすすめたり、二人のための新しい家を宝塚、神戸の高級住宅地に捜し歩いたりしていることも見逃すことができない。もちろんその資金は被相続人において負担する筈のところ実現しなかつたものである。

次に同相手方は被相続人の内縁の妻である。被相続人は昭和三七年頃から一〇日間、一月間というように次第に同相手方の家にいることが多くなつてきており、正月も昭和三八年から昭和四〇年まで毎年同相手方の家で過している事情や、日頃の会話の中で被相続人が「金をうんと貯めて二人だけで暮そう。そうなつたら誰にも会わないで一日中家にいて暮そう。」という意味のことを述べている事情を考え併せると同相手方の立場はまさに内縁の妻というにふさわしい。原審判の認定した同相手方に対する分与額はむしろ少きに過ぎるものである。

2  特別縁故者の制度は相続権のない血縁者を救済しようとしてつくられたものではなく、被相続人と事実上の間柄において縁故があつたものを救済しようという意図があつたからにほかならない。原審判がこの点を看過し一定の血縁があつた者に対し総花的に分与をなし、特別縁故者の範囲を不当に広く解釈しているのは納得できない。

というにある。

第二当裁判所の判断

一  特別縁故者としての資格及びその範囲について

民法九五八条の三は特別縁故者としての資格及びその範囲について定めているが、「被相続人と生計を同じくしていた者」とは、例えば内縁関係にある配偶者や養親子のように生活関係は密接でありながら民法上は相続権を認められていない者を、「被相続人の療養看護に努めた者」とは、右のような内縁の関係にない場合でも、例えば看護婦、附添婦などの使用人であつて被相続人が感謝のしるしとしてその者に財産を贈与し又は遺贈したであろうと思われる事情にある者を予想したと思われ、また、「その他被相続人と特別の縁故があつた者」とは被相続人と自然的血縁続係は認められるが認知がないために相続権を認められない親、子、祖父母、孫、兄弟姉妹とか、もともと相続権はないが相続権者に次ぐ近親者である伯叔父母や従兄弟姉妹、恩師友人などで被相続人が生前庇護を受けた者などを指すものと思われ、この規定自体からみて右は例示的に掲げられたに止まり、その間の順位に優劣はないものと解される。現実に遺産分与を許すべきかどうか、分与を許すとしてその額をいかに定めるかは一に家庭裁判所の裁量に委され、家庭裁判所は被相続人の意思を忖度、尊重し、被相続人と当該縁故者の自然的血族関係の有無、法的血族関係に準ずる内縁関係の有無、生前における交際の程度、被相続人が精神的物質的に庇護恩恵を受けた程度、死後における実質的供養の程度その他諸般の事情をしんしやくしてこれをなすべきである。そうして自然的血族関係が認められる場合には、そのこと自体、切り離すことのできない因縁であつて、縁故関係は相当濃いものと認めるのが相当であり、具体的実質的な縁故の有無のみにより決すべきではないと解される。したがつて特別縁故者が多数存在する場合には、諸般の事情を考慮してそれが特別縁故者と認められる限りそれらの者全員に対し分与が許されたとしてもそれはやむを得ないとしなければならない。

二  右の観点に立つて原審判の当否について検討するに、原審判が相続財産の現況、被相続人についての事情、抗告人ら及び相手方らについて個別に検討した事情は、当裁判所としても、次の諸点を補足し訂正するほか、正当と判断するものであるから、その理由記載をここに引用する。

本件記録によると、

1  相続財産管理人楠本孝一保管の通知預金二口は木村雅徳(架空)名義であり昭和四四年六月三〇日現在における利息額は税金を控除し一二四万〇一三九円であり、その後も日歩七厘の割合により利息を生じている。

2  被相続人は、昭和七年五月九日兄新作が自殺し、これを悲観した母ゆきも昭和八年一二月四日病死して、精神的に大きな衝撃を受け、そのことが基因して自己の人生観に大きな変化を来たし、一見異常とみられる人間嫌い、厭世的、潔癖な性格を作り上げた。そして親戚知人との附合いを極度に煩わしく思い、昭和二五年に東住吉区○○町に住所を移して以後は音信不通の状態が続いた。被相続人は、自己の境遇もあつてか、子供を作ることは一種の罪悪だとしてこれを嫌い、老後のことは金さえあれば困らない、結婚は愛情によつて結ばれるもので形式にこだわる必要はないと考えていた。

3  抗告人中村は被相続人の父吉田正から昭和一〇年頃金一万円相当の有価証券の贈与を受けたが、これは同抗告人の母が認知を請求しないとか、相続財産について何らの請求もしないとかいう約束でいわゆる手切金として授受されたものではなく、同抗告人母子の生活費、同抗告人の養育費として支払われたもので、被相続人の相続財産の分与を求める本件とは関係がない。また、同抗告人は右正の世間体もあり被相続人とは面識、交渉できる立場になかつた。

4  相手方鈴木早苗は昭和四四年一月二七日死亡し、相手方鈴木正義においてその一切の権利義務を承継した。右早苗及び相手方大田美和子はいずれも被相続人の父の異母妹であり叔母にあたる。

5  告人横山かよはもともと吉田家に女中として勤めていたもので一度婚姻に破れ、昭和一五年当時四〇歳で被相続人より一二歳も年上であり、爾来二五年にわたり起居を共にし、とりわけ昭和二〇年七年末被相続人が高岡市で発病し、札幌の病院に入院し帰阪後全快するまで献身的に療養看護し、また戦時中及び終戦前後の食糧難の時期に身辺の世話をし奉仕してきたことは並大抵のことではなく、吉田家の親族から感謝されていたとはいえ、被相続人とは身分、地位も異なり対等に話相手になれる間柄でなく、自らも警察で被相続人の妻であることを言い憚つており、精神的なつながりはなく、内縁関係というには程遠い、むしろ主従的な関係という色彩が濃く、被相続人としても同抗告人に対し愛情を持ち将来の伴侶として生活してゆく気持はなく、ただこれまで永年にわたり世話をしてもらつて勝手もわかつており、惰性と便利さも加わつて、よりかかつていたという関係であつた。

6  被相続人はその母ゆきをこよなく愛し追慕しており、相手方遠藤に対し母の形見の品々を贈つており、同相手方には母親を彷彿させる何物かを感じた。被相続人は昭和三三年頃同相手方に家の建増をすすめたり、同相手方とともに二人のための新しい家を宝塚沿線や神戸山の手などに捜し歩いたりしたが具体化するに至らなかつた。昭和三七年頃からは被相続人は同相手方の家で泊るようになり昭和三八年から昭和四〇年までの正月は同相手方と二人で過ごし、同相手方は被相続人のよき話相手、理解者であり、少くとも一〇年の関係期間の後半には二人の仲は愛情面においても相当程度高まり精神的に結びつき、将来を約束したといつてもよい程度の内縁関係に近い間柄にまでなつた。

ことが認められる。

三  抗告人中村は、原審判が相続財産の処分に当り相続財産管理人の意見を聴いた形跡がないから無効であると主張する。本件記録上には右意見を聴いた旨の記載はないが、実際には聴いていることが証人楠本孝一の証言により認められるのみでなく、抗告審において右意見を聴取しているから、右主張は採用しない。

四  そこで抗告人ら及び相手方らに対する分与額について検討するに、前記認定の事実によると、原審判が認定した分与額はある程度これを変更し、あらためて分与額を定める必要がある。ところで特別縁故者として財産分与の申立をした者が数人あるため審判が併合してなされた場合において、当該申立人の一人のなした抗告は全員について効力を有するものであることは家事審判規則に明定するところであるから、これにより抗告人はもとより抗告を申立てない相手方の分与額も影響を受け減額されることのあるのはいうまでもない。当裁判所は、原審判以後の利息額を考慮して金二〇〇万円を加えた金四、四〇〇万円を分与総額とし、前記認定の事実をしんしやくしたうえ、これを抗告人ら及び相手方らに対し次のとおり分与するものとする。

1  抗告人中村については、被相続人とは面識交際がなかつたとはいえ、被相続人の父吉田正の認知があれば実妹として被相続人の遺産を相続できる地位にありながら右正の社会的地位に対する配慮から認知をさえぎられたものであつて、実質的には唯一人の異母妹であるとともに、分与の対象となる財産が右正の遺した財産の変形とみられることを考慮に入れると、同抗告人に分与すべき額は、被相続人の父方母方の伯叔父母よりも大きく評価してしかるべきであり、金六〇〇万円をもつて相当と認める。

2  抗告人横山については、被相続人と主従的関係という色彩が濃いとはいえ、永年にわたり献身的に日常の身の廻りの世話をしてきたことは高く評価すべきであつて、同抗告人には現住家屋が贈与されていることも考慮して、同抗告人に分与すべき額は、金一〇〇〇万円をもつて相当と認める。

3  相手方遠藤については、被相続人と約一〇年の長きにわたつて互に許し合える内縁関係に近い間柄にあり、精神的な結びつきが濃く、被相続人にとつて憩いの場であつたとみられることは高く評価すべきで、抗告人横山と軽重の差をつけるのは極めて困難であるから、同相手方に分与すべき額は、同額の金一、〇〇〇万円をもつて相当と認める。

4  その余の相手方らについては、ともに父方母方の伯叔父母又はその承継人であつて、現在の生活状態等はとくに考慮する必要はなく、甲乙をつけるほどの事情は認められないから、同相手方らに分与すべき額は一律に各金三〇〇万円宛をもつて相当と認める。

五  以上の次第であつて、原審判は前記認定の限度で相当でないからこれを変更し、あらためてその分与の額を定めることとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 木下忠良 裁判官 村瀬泰三 田坂友男)

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